たくさんの知識は一時に過ぎない
たくさん本を読んでも「ああそうなのか」で終わってしまう
おはようございます
今はネットの時代...キーボードを叩けばわからないことはほとんどの事が解決できる時代。とても便利な世の中なので時間効率にはとても有効な手段である
昭和のころなんかアナログなので自分が行動しなければ答えが見つからないことが非常に多かった。だが、それにより人と人との会話の時間が生まれコミュニケーションが直接なので感情がより取り込めた時代とも言えた
だがしかしそういった人たちが、今の若い世代たちが”ゆとり世代”となにかといっていわゆる苦労を惜しまない人間をよく思っていない。手間暇かけて積み上げてきたものがいいと思い込んでいるのはちょっと御免だ、いやむしろ迷惑なことが多い
昔の人が苦労してきたかは知らないが、だからといってその価値を押し付けるのは良くない。その時代に生きてきた人たちが全てそうだったのか?と言われるとそうじゃないから。現代の人たちだって最先端技術を駆使してより環境を良くしようとしている苦労は同じだからと思っている。
デジタルなところはデジタルでアナログなところはアナログでいいと思う。要は使い分け。情報なんかわからなければ人に聞けばいいわけだし、いつまでも自分の価値観で苦労や感情をすればよりいいものができると思ったら少し違うのかな?と思う。
木を想像したらわかるかと思いますが、幹がしっかりしていて後から枝のように広げていけばいい。アナログ=幹 という考えは捨ててデジタルだって同じなのであとから枝を作っていけばいいのかな。苦労や感情が大事と言って幹を作る時間を費やしていても人生それで終わってしまいそう....その人がそれでいいと思っているならいいですが