脳の不思議な世界へ

感じるとはどんなことなのか

毎日の中で脳は使われ続けています。脳って不思議なことがいっぱい

結果はどうであれ...

最初から答えを求めようとすると

 

おはようございます

 

梅雨も明けて猛暑日が続いている毎日ですが、熱中症は大丈夫でしょうか?

梅雨が明けてからの猛暑日が続くと熱中症になりやすいみたいです

 

これだけ暑い日が続くと、やる気も減ってしまいがちなのですが、例え5分という時間に取り組むだけでも習慣という観点から見ると、長続きするといわれています。

暑いは関係ないですが...僕もいろいろなことに挑戦したいと思っていろいろなことをやろうとしますが、続かないことも多々ありました。それは何故でしょうか?

どうでありたいかを決めていないからです。最初から決めることは中々難しい事でもあるので、最初は真似事でもいいと思います。その中から、自分なりに答えに行き詰まったらその問題に解決できるようなものを求めていけばいいのです。

よく目的をもって取り組むようにと言いますが、決してそればかりではなく少しづつ修正をしていけばいいのです。やっても後悔やらなくても後悔ならば僕はやって後悔の方がいいですね。何故なら自分を知ることができるからです。何故やらなかったかより何故できなかったのかの方がもっと現実的に自分を修正できるからでです。

見切り発車でいいくらいです

小さなことに感謝できるということ

毎日が暑いですが...

 

 

おはようございます。毎日うだるような暑さが続くかと思うとやってられないような気がしますが毎日頑張りたいと思います。普段生活しているともっと良環境を求めたくなることがあります。例えば、今の季節だと毎日エアコンのついた部屋で一日過ごしたいとか(僕の事ですけど)例えそうであっても今現在の事について何が喜べるのかを考えるとすべてが当たり前のように感じて生きていることに気づくことができるのではないでしょうか。

  • ご飯を食べること
  • 寝ること
  • 服を着ていること
  • 仕事があること

言い出したらきりがありませんが個人で気付くことができるのはたくさんあります。生きていく上での最低ラインを知っていたら人は喜ぶことができます。

今回の豪雨で被災された方がたに物資などの支援を送るのはなんですか?

最終的に衣食住だったわけじゃないですか。こんな時に高級車だとかブランド物を送っても嬉しいですか?極端なことを言えばこういったことです。実際は個人との差別化を図ろうと自分をアップデートしますが、人が生きていく上での最低ラインというのは一緒なんです。環境などによって自分が不幸な人生を送ってきたと思うことはやめて小さなことでもいいので見つけられるといいですね。そうしたらどこに住んでも生きていくことができるでしょう

パッとひらめいたことが

いつもパッとしない私ですが、今日もパッとしないままブログを書いていこうと思います。

 

こんばんは

暑い夏がやってまいりました。もうすぐ夏休みなんですね。近所の子供たちは夏休みとは関係ないとばかりに学校から帰ってきたら外で元気よく遊んでいる姿を見ると休みに関係なくパッとひらめいたことやその時に思いついたことをやりたいと思ってできることを実行している子供たちは素晴らしい。大人になると、お金のかかる行動を見つけてしまうと当然だが、それが普通だと思ってしまうし、それが大人だとおもってしまう人が多い。子供たちは子供同士が話し合ってルールなどを決めてみんなが遊べるようにしているところが楽しい秘訣なんだろうなと利益優先の大人とは違ってうらやましく思える。

もうすぐ花火の季節もやってくるので、屋台を見に行くのも楽しいだろうな。ほとんど定番ものしかないがその手さばきはやはりその時の興奮できるものなので今年は積極的に行ってみようかな

自分の口ぐせ

 

おはようございます

 

自分の口癖と聞いて何か?と答えることができる人ってそうはいないだろう

 

何故なら自分の声を録音してまでも分析することはないからだろう

こうして最初に言ってしまうのだが普段そんなことは必要はないだろうと感じているからである。時に誰かと話す機会の時に、「またその言葉かよ」と飽きられてしまうことがあるかもしれないし「自分を高めるためにいい暗示をかけている」と思われるかもしれない。どちらの場合でもいいがほとんどの人はネガティブと思われるような発言を知らず知らずの間に発しているものだ。

以前Twitterの調査で「疲れた」という発言は6秒に一回の割合で発せられているとの調査の記事を見たことがあり、そんなに連呼しているわけではないと思っていたのだが、世界の人が集まったTwitterのデータからするとかなりの割合で発していると個人的には思う。実際に、肉体的にも精神的にも疲れているのだろう。自分を表現する形が知らず知らずの間にネガティブな言葉として周りの人に発しているのだと私は思う。

疲れた中にも充実したことがあればいいのだが、SNSの投稿を見ていると「疲れた」と発しているだけでbad からの高める言葉がない人が多いと思う。

badはしかし~からの意味だが、言い訳にしか過ぎない人もいればそこから高める言葉としても使い分けることができるので今一度時間を見つけては自分の言葉を分析してみるのもいいでしょう。

物事の捉え方は人それぞれで、架空の自分を作りあげながら登っていく人もいれば自分の事を分析できながら登っていく人もいたりと様々だ

僕自身も人と話しているときに自分をつくあげている自分はいないだろうかと考えるときもある。人は評価されると嬉しい生き物だから、少しだけ盛ったようなことをいってしまうかもしれない。そんなときもあるかもしれないがいつまでもあなたのことを信頼しているわけではないので自分自身で時には分析して改善できることは改善したに越したことはない

言葉はなくても...

しぐさだけで何が言いたいかを読む力

 

おはようございます

 

全国的に曇り空で天気も悪い週明けとなりました。今日はですね久しぶりの投稿なのですが、先日遭遇したことについて書いてみたいと思います。

 

一昨日の日の事だったでしょうか、近所のお世話になっているドラッグストアがあるのですがその日に限っては裏道から行くことになり、車が一台しか通れないようなところなので、当然譲り合いをしなければスムーズに通ることができないので多少は心を使います。その日は車の通りもなく、スムーズに通れるのかなと思ったのですが私が右折したいと思っていたのですが右から自転車の姿が見えました。私はいったん待つことにしました。自転車の方は、どうでしょうかペルー人の40代くらいの男性とみました。私が、右折の合図を出しているのを見たのでしょうか。自転車の方が通るときに軽く会釈をしてくださいました。直接言葉ができなかったりまた話せなかったりしてもジェスチャー的な行動で受け取る側にも伝われば自然でいいですね。

そんなほっこりした午後の日でした

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ありえないとおもうことはあり得る

 

おはようございます

 

仕事に追われ家の事に追われ毎日のルーティンワークをこなしているだけで終わっている毎日でテレビやネットのニュースを見れば、もっと膨大な量をこなしている人を見てつい張り合ってみたり「あの人は特別だ」と言ってみたりするもんです

 

元をたどれば原因は自分にもあるということをまずは理解しなければなりません。全ての事柄についてはまずは自分に権限があるのですから、対人関係などでこじれるのも自分の接し方次第で相手の捉え方を変えることもできますし、いわゆる「普通」という感覚がどこが基準なのかはわかりませんが、常識から外れることが間違いと思っている限りありえないと思うことはいつまでたってもありえないと思うことでしょう。

基準値や目線を角度を変えてみてみましょう。決してありえなくはないですよ。

苦労は一日してならず

 

映画「サバイバルファミリー」

 

こんばんは

 

今日常暮らしている中で、とても日常では考えられないことがテーマとなり改めて考えさせられる映画「サバイバルファミリー」を見ての感想を綴ってみたいと思います

 

ネタばれの部分もあるのでここから先は読みたくない方はここまででお願いします

 

東京を突如襲った大停電、電気だけではならず水道やガスも使えない状態となり住民はすぐに復旧するだろうという浅い考えで数日を過ごすことに。しかし、いつまでたっても復旧のめどは立たずそれどころか不安な日々を選択する他ならない状態になる。

 

第一に食料が優先となり人間は生きるために必死で想像では考えられないほどの事態が次々と起こる。そんな中どうしたら生きることができるのか?に頭を使い東京から出るがどこの町まで行っても同じような状況が待っており、その光景に家族一同は言葉を失ってしまう。偶然に農家の一人の人に助けられ一命をとりとめる。そこで学んだ日常では考えられないほど全て手作業での日々を送り命のありがたみについて考えさせられる。目的地の村につき村にとっては手作業で毎日を過ごす。そしておよそ3年の月日が流れたときに突如、町の明かりがつき復旧の知らせが入る。一同はその後東京に戻り、何気なく生活を見直し新しい日々を過ごしていく。

 

 

私の感想はここからです。今の世の中、電気もあれば水道もスイッチ一つで携帯電話もあるのが当たり前の世の中と思っている。当然ながら対価としてお金を出しているのでそれが当たり前だと思うのは私も同感。しかし、こんな時代であろうと村や集落の人たちは昔からの手間暇かける作業、いわゆる苦労というものにこだわるのだがそれがこういった状況の時に難なく暮らせるのである。今の時代、携帯一つあれば生きることはできるが生きる知恵が身についていなければただの機械であることと考えさせられる。

知恵を出し合って食べ物を分け合い人と人とのコミュニケーションが大事で当然ながら今の現代人は優越感や生きるために本当に必要なもの以外に時間やお金をたくさん使っているのはこの映画を見たらわかるかと思います。食料を確保するのも一日ではできません。最終的にお金はただの紙切れとなり物々交換という時代がものすごく象徴され増す。家族とのコミュニケーションがうまく取れていない家庭もあると思いますし便利にな世の中なので危機感もないことも考えさせられますので機会があれば一度でもいいので見ていただけましたら今日の記事を書いたことが嬉しく思います。

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